死ぬまで求道

 大リーグ・マーリンズイチロー選手が6月16日、通算4257安打目を放ち、ギネスブックにも認定されました。
 イチロー選手は日本で首位打者になりましたが、それからアメリカに行くときに、「首位打者になってみたい」と言ったところ、笑われたそうです。しかし、それを2回も達成しています。人から笑われたことを、常に達成してきたイチロー選手は、「常に人に笑われてきた悔しい歴史が僕の中にある。これからも、それをクリアしていきたいという思いはあります」と語っていました。どこまでいっても完成のないのは、スポーツだけではありません。

高森顕徹監修『なぜ生きる』2部10章には、こう書かれています。


 完成のないのは、なにも音楽の道だけではなかろう。学問も芸術もスポーツも、みな円満成就というゴールはない。
「それがいいんだ、完成したと思ったら進歩がない」
「『死ぬまで求道』こそが素晴らしいのだ」
 たいていの人は、そう言うにちがいない。
 だが少し落ち着いて考えれば、「『死ぬまで求道』が素晴らしい」とは、百パーセント求まらぬものを、死ぬまで求めつづけることの礼讃であり、ナンセンスとすぐわかる。
 求めるのは、「求まる」ことを前提としているはずであるからだ。
 死ぬまで「求まらぬ」と知りながら、求めつづけることは、去年の宝くじと知りながら、買いつづけるようなもの。?それでいいんだ?と、どうしていえるのであろうか。
?求まらなくともよい、死ぬまで向上、求める過程が素晴らしいのだ?と言い張る人もあろうが、それは一時的な充実で、すぐに色あせる。?人間に生まれてよかった?という生命の歓喜とは異質なもので、真の人生の目的達成のよろこびを知っている人とはいえないであろう。