真っ暗がりを走る我々

アエラ』8月27日号「死と日本人」に、こんな統計が紹介されていた。

「あの世」が信じられなくなった最も大きな経験は敗戦でしょう。多くの人たちが「靖国で会おう」といって戦地で散っていきました。
 統計数理研究所には、1958年と2008年の「あの世観」を比べた統計があります。58年の20代で「あの世を信じる」と答えたのは13%。いかに戦争で失われたものが大きかったかを感じます。
(中略)
 先ほどの統計では、08年の20代は、約半数にあたる49%が「あの世」を信じていました。自然に揺り戻しがきているのです。東日本大震災では、改めて多くの人がそれを実感したでしょう。

 二十代の若者が、戦争に負けると、「あの世」を信じるのは13%と激減し、今は自然に揺り戻しがきて、半数近くが来世を信じている。
 来世がないと信じるのも、あると信じるのも、根拠があるのではなく、社会状況で左右されているだけのようだ。

高森顕徹監修『なぜ生きる』2部6章には、来世がハッキリしていないから、どんな社会になっても安心満足できないのだと書かれている。

思えば私たちは、真っ暗がりの中を、突っ走っているようなもの。「死んだらどうなるか」未知の世界に入ってゆく底知れぬ不安を、何かでごまかさなくては生きてはゆけない。文明文化の進歩といっても、後生暗い心が晴れない限り、このごまかし方の変化に過ぎないといえよう。しかし、ごまかしは続かないし、なんら問題の解決にはならない。何を手に入れても束の間で、心からの安心も満足もない、火宅のような人生にならざるをえないのである。