「仕事」は「手段」と気付く

大学生の就職したい企業ランキング入り常連企業"ワイキューブ"の代表、安田佳生の『採用の超プロが教える 仕事の選び方 人生の選び方』に、こんなことが書いてある。

「生きるということ自体も手段であって目的ではない。
本当の目的はほかにある。それを明確にすべきなのだ。

これは、難しい作業であって、明確にすることができないかもしれない。しかし、やはり、『何のために生きているのか』という命題は、人間として毎日考え続けなければいけない課題なのではないだろうかと私は思っている。
(中略)『何のために就職活動をしているのか』『何のためにその業種を選ぶのか』『なぜ安定したいのか』という自分への問いかけは、すべて、『何のために働くのか』『何のために生きるのか』という問いかけなのである。そのことに気づいてほしいと思う。」

「仕事は、人生の目的を達成する手段」と気づく人が増えているものの、実際には考える時間がなかなか取れない現状を、高森顕徹監修『なぜ生きる』1部5章には、こう書かれている。

 退職して悠々自適、好きなことができると思っていたのに、何をしたらよいか分からず、家でごろごろと無気力な人が、多く見られるようになりました。地面にビタッと貼りついて動かない「濡れ落ち葉」にたとえられますが、ひどい人は「粗大ゴミ」と表現します。居場所を失って、焦る人も少なくありません。

  「先生、私には居場所がないのです。どうしたらいいでしょう」と、研修の場で相談を持ちかけられることが多くなっています。定年になって、会社を辞めてから一カ月もすると、家にいても身の置き場がない、誠に哀れな状況になっているというのです。
   なかには、定年退職した後も、以前と同じように、毎朝会社に出勤する時間になると身支度を整えて出かけ、公園かどこかで時間を潰し、夕方帰宅するという、笑うに笑えない例もあるのです。これこそ、仕事が人生そのものと思っていた人が、会社以外に自分という存在を認識できなかった結果を物語っています。(佐藤英郎 『気づく人、気づかぬ人』)

「仕事は、人生の目的を達成する手段」と気づく人が、若者を中心に増えていると、社員研修十五年の佐藤英郎氏は言います。しかし実際は、「生きるための苦闘」は激しさを増すばかり。どう生きるかに追われ、「そんなにまでして生きるのはなぜか」を考える時間は、奪われているようです。
「人生の旅のなかば、正しい道を見失い、私は暗い森をさまよった」と書き出し、ダンテは 『神曲』 をつづっています。この世のウソに飽き飽きし、一切にむなしさを覚えるときが、どんな人にも訪れるのではないでしょうか。無益な生涯だったと気づいたり、ゆるされぬ罪の山積に驚くのは、人生でもっとも悲惨な瞬間でしょう。
 多くの場合それは、体力が目に見えて衰えてきたときに下される残酷な審判です。