人間の死亡率は100パーセント

 毎日新聞のコラム「余録」に、こんな内容が掲載された。

「『人間の死亡率は100%です』。

いきなりこう言われてギョッとなった。

90%でも99%でもなく、きりのいい100%。

『人間はいつか死ぬ』とひとごとのように言われるよりも、はるかに直接で新鮮だ。


この『死亡率100%』の話は1991年度菊池寛賞を受賞したアルフォンス・デーケン上智大学教授のあいさつではじめて聞いた。美しい日本語で、しかもユーモアたっぷりな話し方だから、死を話題にしても、全然冷たくはない。死は温かく包まれている。


第2次世界大戦中のドイツ。デーケン少佐は学校の帰り道、機銃掃射を浴びた。すんでのところで、頭が吹き飛ばされるところだった。友人や親類の何人もが空襲の犠牲になった。

『死と隣り合わせの毎日だった。死との出会いがなかったら、全く別の人間になっていたかもしれない』とデーケンさんは言う。

『私たちは死について学べば学ぶほど、もっと深く生きることについて考えだすようになる』とデーケンさんは続ける。

『死を直視して多角的に学ぶことによって、私たちは人生の有限性に気づき、いかに生きるべきかを、改めて模索し始める』。
だから『死への準備教育』にほかならない、というのがデーケン教授の意見である。」


 東京に首都直下型の地震が、30年以内に起きる確率は70パーセントといわれる。だが、たとえ地震が来なくても、死は100パーセントやって来る。やがて死ぬのに、なぜ生きるのか。
「死」について真面目に考えることが、「生」の理解を深めることになる。

高森顕徹監修『なぜ生きる』1部8章には、こう書かれている。

私たちは、「死神の掌中で弄ばれる道化」ともいわれます。どれだけ逃れようともがいても、死に向かってひた走っているのです。しかもその壁の向こうはどうなっているのか、まるで知りません。
 未来がハッキリしないほどの、不安なことがあるでしょうか。先の見えない闇の中を走っているから、何を手に入れても、心から明るくなれないのでしょう。「この苦しみは、どこからくるのか」―― 人生を苦に染める真因がわからなければ、真の安心も満足も得られません。苦しみの元を断ち切って、「人間に生まれて良かった!」という生命の歓喜を得ることこそが、人生究極の目的なのです。
 死をありのまま見つめることは、いたずらに暗く沈むことではなく、生の瞬間を、日輪よりも明るくする第一歩といえましょう。