なぜ自殺をとめるのか

 平成23年4月21日に、キャンディーズの元メンバーで女優の田中好子さんが、乳がんで55歳の生涯を閉じた。告別式では、病床で3月29日に録音された、最後の肉声が公開された。
「映画にもっと出たかった。テレビで、もっと演じたかった。もっともっと、女優を続けたかった」と無念をにじませながらも、周囲への厚い感謝の言葉を残している。
 震災や病気で、生きたくても、生きられない人がいる一方で、その貴重な命を自ら絶つ人もある。

 NHK連続テレビ小説「凛凛と」に主演するなど、多くのドラマや映画で活躍した俳優が、4月25日午後、自宅で首をつって死亡しているのが発見された。仕事も順調だったのに、44歳という若さでこの世を去ったのである。
 4月14日に更新したブログ日記「のぞみ」が、辞世の句となった。

「空を見上げて考える時は
何か良い事ありそうな気分

下を向いて考える時は
どこか気持ちが沈んでるような…

考えるから人間だって
言っていたのは誰だっけ
考えるのは大好き
空を見上げて考えたい
空を見上げて考え続けたい」
(※トキトトキ「のぞみ」より)

 不安な気持ちだったことがうかがえるが、「もっと頑張って生きて欲しかった」と思わない人はないだろう。苦しくとも、なぜ生きねばならないのか。人生の目的が明らかにされない限り、悲劇は止まらないと、高森顕徹監修『なぜ生きる』「はじめに」には、こう書かれている。

 自殺の増加と低年齢化に、世のなか戸惑っている。科学や医学などは急進したが、人類の闇はますます深まっているといえよう。
「強く生きよ」と励ます本が相次いでベストセラーになっているが、「生きていても意味のない人間」と言われて、どんな説得が用意されているのだろうか。
「生きよ生きよ」と連呼されても、
「人生は 食て寝て起きて クソたれて 子は親となる 子は親となる」
「世の中の 娘が嫁と花咲いて カカアとしぼんで 婆と散りゆく」
 禅僧・一休に人生の裸形を露出されると、むなしくこだまするだけである。

 戦争、殺人、自殺、暴力、虐待などは、「生きる意味があるのか」「苦しくとも、生きねばならぬ理由は何か」必死に求めても知り得ぬ、深い闇へのいらだちが、生み出す悲劇とは言えないだろうか。
 たとえば少年法を改正しても、罪の意識のない少年にどれだけの効果を期待しうるか、と懸念されるように、これら諸問題の根底にある「生命の尊厳」、「人生の目的」が鮮明にされないかぎり、どんな対策も水面に描いた絵に終わるであろう。

「生命の尊厳」「人生の目的」を明確にするのが、急務ではないだろうか。