ある中学生の悩み

国語教科書『新しい国語 一』(東京書籍)に、『人はなんのために生きるのか』と題した、山主敏子の文章が掲載された。

「『人間は、なんのために、生まれてきたのでしょう。オギャアと生まれて大きくなって、働いて、年を取って、やがてだれでも死んでしまう――。
そう思うと、むなしい気がします。
人生の目的は、なんでしょうか。
いくら考えても、あまり難しい問題で、頭が痛くなってしまいます。友達に話したら、『そんなこと、分かりっこないじゃないか。考えるだけ損だから、やめろよ。』と笑われてしまいました。
でもやっぱりぼくの心の底には、人間は、なんのために生きるのか……という問題がつきまとっていて、なんでも、はりきって取り組もうというファイトがわいてこないのです。(中学1年・男子)』
あなたはたいへん重要な、難しい問題につかまってしまいましたね。
古今東西の哲学者たちは、例外なく、この問題について考えたり書いたりしてきました。そしてまだだれも、『なるほど!』と、万人がうなずくような答えを、出してはいないのです。」

「人間は、なんのために生きるのか……」この中学生の問いに、明答を出された方が親鸞聖人だと、高森顕徹監修『なぜ生きる』「はじめに」に、こう書かれている。

「人生に目的はあるのか、ないのか」
「生きる意味は何なのか」
 人類は今も、この深い闇の中にある。
 どこにも明答を聞けぬ中、親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない。
「万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、?よくぞこの世に生まれたものぞ?の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、この目的果たすまでは生き抜きなさいよ」
 聖人、九十年のメッセージは一貫して、これしかなかった。まさしく人類の迷闇を破る、世界の光といわれるにふさわしい。
 人気テレビ番組 『知ってるつもり!?』では、戦後出版された本の中で、一番多く語られた「歴史上の人物ベストワン」と紹介された。

 この中学生が、「世界の光」親鸞聖人の教えに遇えることを念じたい。