終わらない「安楽死」論争

 アメリカの元医師ジャック・ケボーキアンが6月4日、83歳でこの世を去った。死を望む患者が、自分でスイッチを押しさえすれば、化学薬品によって安楽死できる「自殺装置」を開発、自殺幇助すること実に130人。スイッチを押す力さえ無い患者には、かわりにスイッチを押したために、殺人罪に問われ8年間、収監された。
「死の医師」とあだ名されたケボーキアンは、90年代に安楽死の是非をめぐる大論争を、世界中に巻き起こした。
 生きる権利があるならば、死ぬ権利もあるのか。愛する人が「死にたい」と言ったとき、我々は、どうすればよいのか。ケボーキアンは答えを持っていなかった。ケボーキアンが世を去っても、生と死をめぐる問題が消えたのではない。

高森顕徹監修『なぜ生きる』「はじめに」には、こう書かれている。

「人生に目的はあるのか、ないのか」
「生きる意味は何なのか」
 人類は今も、この深い闇の中にある。
 どこにも明答を聞けぬ中、親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない。
「万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、?よくぞこの世に生まれたものぞ?の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、この目的果たすまでは生き抜きなさいよ」
 聖人、九十年のメッセージは一貫して、これしかなかった。まさしく人類の迷闇を破る、世界の光といわれるにふさわしい。