いじめ自殺を防ぐには

 昨年秋、滋賀県大津市の中学二年生の男子が自殺したのは、いじめが背景にあったことが報道され、社会問題となった。
 過去、何度も同じ悲劇が繰り返されてきたが、いまだに有効な対策は見つかっていない。「いじめ」を「犯罪」と呼んで、学校に警察を入れたところで、一時しのぎにしかならないだろう。


高森顕徹監修『なぜ生きる』はじめにには、こう書かれている。

 自殺の増加と低年齢化に、世のなか戸惑っている。科学や医学などは急進したが、人類の闇はますます深まっているといえよう。
「強く生きよ」と励ます本が相次いでベストセラーになっているが、「生きていても意味のない人間」と言われて、どんな説得が用意されているのだろうか。
「生きよ生きよ」と連呼されても、
「人生は 食て寝て起きて クソたれて 子は親となる 子は親となる」
「世の中の 娘が嫁と花咲いて カカアとしぼんで 婆と散りゆく」
 禅僧・一休に人生の裸形を露出されると、むなしくこだまするだけである。

 戦争、殺人、自殺、暴力、虐待などは、「生きる意味があるのか」「苦しくとも、生きねばならぬ理由は何か」必死に求めても知り得ぬ、深い闇へのいらだちが、生み出す悲劇とは言えないだろうか。
 たとえば少年法を改正しても、罪の意識のない少年にどれだけの効果を期待しうるか、と懸念されるように、これら諸問題の根底にある「生命の尊厳」、「人生の目的」が鮮明にされないかぎり、どんな対策も水面に描いた絵に終わるであろう。
「人生に目的はあるのか、ないのか」
「生きる意味は何なのか」
 人類は今も、この深い闇の中にある。
 どこにも明答を聞けぬ中、親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない。

 まさに親鸞聖人が「世界の光」といわれる所以であろう。