病魔と闘う目的は

 アメリカでも、医療費の高騰が、社会を圧迫している。
 一例を上げれば、抗がん剤だけでも、アメリカ全土で年間230億ドルが費やされているという。
 日本も医療費が9年連続で増えており、社会問題となっている。医学の進歩は有り難いことであり、医療が高度化して、治らなかった病気が治るようになったのは良いことだが、医療費の上昇が先進国では大問題となっている。だが、もっと大事な問題は、病気と闘って命を延ばすのはなぜか、ということではないだろうか。

高森顕徹監修『なぜ生きる』1部1章には、こう書かれている。

 命が延びたことは良いことなのに、なぜか釈然としないのは、延びた命の目的が、曖昧模糊になっているからではないでしょうか。臓器提供者の意思の確認や、プライバシーの保護、脳死の判定基準など、二次的問題ばかりが取り上げられて、それらの根底にある「臓器移植してまでなぜ生きるのか」という確認が、少しもなされてはいないようです。
 つらい思いをして病魔と闘う目的は、ただ生きることではなく、幸福になることでしょう。
「もしあの医療で命長らえることがなかったら、この幸せにはなれなかった」と、生命の歓喜を得てこそ、真に医学が生かされるのではないでしょうか。

 世の中ただ「生きよ、生きよ」「がんばって生きよ」の合唱で、「苦しくとも生きねばならぬ理由は何か」誰も考えず、知ろうともせず、問題にされることもありません。
 こんな不可解事があるでしょうか。

 治療の値段よりも、目的こそ、第一に論ずべきであろう。