人生の目的は絶対の幸福

 十月末に、アメリ東海岸を「サンディ」というモンスターハリケーンが襲い、850万世帯が停電になった。ニューヨーク州では去年、地球温暖化対策の計画書を600ページにわたって作成していたという。ところが今回のハリケーンは、まさに想定外で、こんなハリケーンは、あと70年は来ないと予想されていた。今後は、十年に一回は、こんなハリケーンが来るかもしれないと言われている。
 諸行無常だから、いつ何が起きるか分からない。
 そんな中、親鸞聖人は、どんなことがあっても絶対に崩れない「絶対の幸福」が厳存すると教えられている。

高森顕徹監修『なぜ生きる』2部24章には、こう書かれている。

 私たちは、健康から、子供から、恋人から、友人から、会社から、金や財から、名誉や地位から、捨てられないかと戦々恐々としてはいないだろうか。幸福に見捨てられるのではなかろうかと、薄氷を踏むようにいつも不安におびえている。捕らえたと思った楽しみも一夜の夢、握ったと信じた幸福も一朝の幻、線香花火のように儚いものだと知っているからである。たとえしばらくあったとしても、やがて、すべてから見放されるときが来る。
 蓮如上人の遺訓を聞いてみよう。

   まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも、相添うことあるべからず。されば、死出の山路の末・三塗の大河をば、ただ一人こそ行きなんずれ(『御文章』)

「いままで頼りにし、力にしてきた妻子や金や物も、いよいよ死んでゆくときは、何一つ頼りになるものはない。すべてから見放されて、一人でこの世を去らねばならない。丸裸でいったい、どこへゆくのだろうか」
 咲き誇った花も散るときが来るように、死の巌頭に立てば、必死にかき集めた財宝も、名誉も地位も、すべてわが身から離散し、一人で地上を去らねばならぬ。
 これほどの不幸があるだろうか。こんな大悲劇に向かっている人類に、絶対の幸福の厳存を明示されているのが、親鸞聖人である。絶対捨てられない身にガチッと摂め取られて、
「人身受け難し、今すでに受く」(釈尊
?よくぞ人間に生まれたものぞ?と、ピンピン輝く摂取不捨の幸福こそ、万人の求めるものであり、人生の目的なのだ。

 どんなことがあっても絶対に崩れない、摂取不捨の利益の厳存を、一人でも多くの人に知ってもらいたい。