幸福のジレンマ

 世界的ベストセラーとなった、ケリー・マクゴニガル著『スタンフォードの自分を変える教室』の中で、著者が「かんたんな答えはありません」と告白している、難問がある。
 欲望を、どうするかという問題だ。コマーシャルは、たくみに欲望をかきたてるが、いざ欲しいものを手に入れてみると、あれほど輝いて見えた物が、色あせてしまう。ところが現代社会は、次から次と欲望をかきたて、何かを必死に求めずにおれない状態にしてしまうのだ。だがそれは、求めては裏切られる繰り返しだから、満足はえられない。
 ところが反対に、病気によって、欲望をかきたてられなくなった人も、無感動になっているだけで、満足はしていないという。

 マクゴニガル教授も、本当の欲望と、まやかしの欲望を区別するのが最善と述べるにとどまっている。

 報酬を期待したところで喜びを得られるとはかぎらず、かといって、報酬をまったく期待しなくなれば喜びも感じなくなります。報酬への期待が高すぎれば誘惑に負けてしまいますが、
報酬を期待する気持ちがなければ、やる気も起きません。
 このジレンマに対しては、かんたんな答えはありません。(中略)私たちの暮らしはテクノロジーで彩られ、広告であふれ、24時間絶えず何かを求め続けながらも、満たされることのない日々を送っています。そんな私たちが、もしいくらかでも自制心を手にしたいと思うなら、人生に意義を与えてくれるようなほんとうの報酬と、分別をなくして依存症になってしまうようなまやかしの報酬とを、きちんと区別しなければなりません。そのような区別をできるようになることが、私たちにできる最善のことなのです。(ケリー・マクゴニガル著『スタンフォードの自分を変える教室』198-199頁)

 最新の科学的成果をもってしても答えられない難問に、親鸞聖人は800年前にズバリ解答を示されている。
高森顕徹監修『なぜ生きる』2部23章には、こう書かれている。

 中には、欲望を断ち切らねば幸せになれないと思っている人さえある。それらの人たちをカリクレスは、欲望のなくなったのが一番の幸せなら、石や屍が一番幸福だ、とあざわらっている。
 かといって無限の欲を満たそうとすれば、死ぬまで不満は絶えず、苦しまなければならないことになる。どうすれば幸せになれるのか、あらゆる哲学、思想は、ここで行き詰まっている。
 ところが親鸞聖人は、欲や怒りの煩悩を、減らしも無くもしないままで体験できる、驚くべき幸福の存在を、
「雲霧の下、明かにして闇なし」
とズバリ打ち出されている。

 思想も科学も行き詰まった難問に、明らかに答えておられる世界の光・親鸞聖人のみ教えを、一人でも多くの人に知ってもらい。