さるべき業縁の催せば

2011年3月15日に、シリアのアサド政権に対する蜂起が起きて丸2年、内戦は激化する一方で、解決の目処は立たない。
自国民を虐殺するバシャル・アサド大統領は決して、最初から怪物だったのではない。もとは眼科医を目指してイギリスのロンドン大学に留学し、静かに暮らす一般人だった。今のシリアの独裁体制は、父のハフェズ・アサドが築いたものであり、その地位は長男のバシルに引き継がれる予定だった。弟のバシャルと違って、表舞台に立ったバシルは、次期大統領として国民から期待もされていた。ところが1994年、バシルが交通事故で死亡すると、次男のバシャルは、ただちにイギリスからシリアに呼び戻された。
バシャルが母国に戻ると、シリアは憲法など骨抜きにされ、すべての権力が大統領に集まる、独裁帝国となっていた。34歳のバシャルは、ただちに支配者としての手法を学ばなければならなくなった。大統領後継者など、青天の霹靂であったが、2000年に父ハフェズが死去すると、一夜にして絶対的支配者となったのである。バシャルは、シリアを恐怖によって治める、父のやり方を繰り返すしかなかった。
独裁者にならず、静かに医師として暮らしていたら、これほど多くの国民を虐殺することはなかったであろう。
「環境」によって、人は、どんな恐ろしいことでも、してしまうのだろうか。

高森顕徹監修『なぜ生きる』には、こう書かれている。

 有名人のスキャンダルや、かつてない犯罪がおきると、テレビのワイドショーもマスコミも特集を組み、?考えられないこと??人間のやることか?と大合唱の非難となる。被害者の心情に立ってのことだろうが、そんな可能性ゼロの無謬人間が存在するのだろうか、と危うく思われる。心理学者ユングは、「疑いもなく、つねに人間の中に棲んでいる悪は、量りしれない巨魁なのだ」と言っている(『現在と未来』)。

  さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし  (『歎異鈔』)

「あのようなことだけは絶対しないと、言い切れない親鸞である」
 聖人の告白通り、いかなる振る舞いもする、巨悪をひそませる潜在的残虐者が、私といえよう。