人生の寂しさ

「友情」を買う時代が来たようだ。映画でもレストランでも、一緒に行く相手が欲しければ、つき合ってくれる友達を、ネットで探せる「友達レンタル」が、ここ数年、人気になっている。中でも「レントアフレンド」には、世界中の五十万以上の「友達」が登録されているから、月額25ドルの会費さえ払えば、たいがいの要望は叶えられそうだ。
 今ほど、孤独な時代はないのではなかろうか。友達と一緒に旅行に行っている時でさえ、一人一人が、自分の携帯電話を注視している。人生の寂しさに耐えられず、お金で友情を買っているのかもしれない。なかには、「友情を金で買わなければならない自分は、ダメな人間なのでは」と、ますます落ち込む人もいるという。
 この漠然とした「寂しさ」「不安」は、どこから来るのか。その原因を知らず、不安をごまかすだけでは、真の幸福にはなれないだろう。だが実際は、刹那の快楽に救いを求める人が多いようだ。
高森顕徹監修『なぜ生きる』1部4章には、こう書かれている。

 刹那的快感に救いを求める人が増え、「依存症」の言葉が、ちまたにあふれるようになりました。?わかっちゃいるけどやめられない?、何かにのめり込んでいなければ、じっとはしておれないのです。一日一回はパチンコせずにいられない「パチンコ依存症」や、デパート狭しと買いつづける「買い物依存症」など、何か気晴らしがなければやっていられない、生きづらさの反映といえましょう。
 薬物依存も減ってはいません。経口の覚醒剤も登場し、小学生すら手を出す始末です。中毒者の幻覚による凶悪犯罪も増え、第三次乱用期といわれるようになりました。一人になるとさびしくて、不特定多数と性的関係に走る人が増えています。それらの人にとって性交渉は、漠然とした不満を埋める手段になっているのです。