感染症は止められるか

 西アフリカでエボラ出血熱の流行が始まってから半年が経過し、WHOの予想では、今年中にリベリアシエラレオネギニアで最大二万人が感染し、史上最悪の大量感染になるといわれている。
 日本でも70年ぶりにデング熱の感染が再発し、世界の注目を集めている。今世紀に入ってから、SARSや鳥インフルエンザなど、新たな感染症が流行する度に、世界はパニックに陥った。人類の医療に、ウイルスは巨大な脅威として、立ちはだかっている。
 だが、たとえエボラウイルスに感染しなくても、地球上の七十億の人は皆、老衰や事故、病気などで死んでいかなければならない。致死率100パーセントのウイルスに冒されているようなものだ。
 かかるかどうか、わからないようなウイルスのことは騒ぐのに、必ず死に至るウイルスを問題にしないのは、大きな矛盾ではないだろうか。

高森顕徹監修『なぜ生きる』2部5章には、こう書かれている。

「死んでからのことは、死んでみにゃわからん。つまらんこと問題にするな」
と言いながら、有るやら無いやらわからない、火災や老後のことは心配する。火事にあわない人がほとんどだし、若死にすれば老後はないのに、火災保険に入ったり、老後の蓄えには余念がない。
「老後のことは老後になってみにゃわからん。つまらんこと」
とは、誰も言わないようだ。火災や老後のことは真剣なのに、確実な未来を問題にもしない自己矛盾には、まだ気がつかないでいる。