火宅無常の世界

 9月27日、長野県と岐阜県にまたがる御嶽山が噴火し、多くの登山客が犠牲になった。
 日本は110の活火山がひしめくことから、「火山列島」ともいわれ、二十四時間体制で観測しなければならない火山が47ある。その47の「常時観測火山」には、世界遺産に登録された「富士山」も含まれる。富士山が噴火したら、火山灰で首都圏の機能は麻痺して、甚大な被害が発生するともいわれている。いつ火山が噴火してもおかしくない現状が、今回、改めて浮き彫りになった。
 地震津波、噴火、台風、何がおきるか分からない世の中だから、親鸞聖人は「火宅無常の世界」と警告されている。そんな中で、絶対に裏切られない真実は、阿弥陀仏の本願だけであると、聖人は断言されている。そのお言葉が、高森顕徹監修『なぜ生きる』には、こう意訳されている。

煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、よろずのことみなもって、そらごとたわごと、真実あることなきに、ただ念仏のみぞ、まことにておわします(『歎異鈔』)

「いつ何がおきるか分からない火宅無常の世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべてのことは、そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない。ただ念仏のみがまことなのだ」
 聖人には、弥陀の本願のほかに、まことはなかった。
「念仏のみぞ、まことにておわします」
は、
「本願のみぞ、まことにておわします」
を言いかえられただけである。
 弥陀の本願以外に、この世に確かなものは何もない、鮮明不動の「法の深信」に立つ聖人には、「弥陀の本願まことにおわしまさば……」と、なんのためらいもなく言えたのであろう。
「弥陀の本願まこと」が、つねに聖人の原点であったのだ。