科学も医学も幸福になるため

 3月に、人工知能「アルファ碁」が世界のトップ囲碁棋士イ・デドル9段を、4勝1敗で下しました。
 今後、人口知能は、自動運転や、医師の診療の補助など、様々な分野での応用が期待されています。機械が運転したほうが、人間よりも事故が減り、機械が診察した方が、誤診が少なくなる日が、来るかも知れません。
 人工知能が人間の頭脳を超えるのは、時間の問題でしょう。それは2045年だと予測する人もあります。その時、人間は人工知能に滅ぼされると心配する人もいます。
 それでは、何のために人工知能を作るのか、わからなくなってしまいます。科学も医学も、すべての営みは人類を幸福にするためにあります。人工知能を作ったら、人類が不幸医なるのであれば、そんな研究は、やめなければなりません。実際、有名な宇宙物理学者ホーキング博士は、「人工知能の発明は人類史上最大の出来事だった。だが同時に、『最後』の出来事になってしまう可能性もある」と言っています。
 政治も経済も、科学も医学も、すべては私たちが幸福になるためにあります。
 本当の幸福になる道を教えられた仏法を根底としてこそ、科学も医学も、真に素晴らしいものになるでしょう。

高森顕徹監修『なぜ生きる』1部1章には、こう書かれています。

 やがて必ず消えゆく命、そうまで延ばして、何をするのでしょうか? 心臓移植を受けた男性が、何をしたいかと記者に聞かれて、「ビールを飲んで、ナイターを観たい」と答えています。多くの人の善意で渡米し、移植手術に成功した人が、仕事もせずギャンブルに明け暮れ、周囲を落胆させました。「寄付金を出したのはバカみたい!」支援者が憤慨したのもわかります。
 命が延びたことは良いことなのに、なぜか釈然としないのは、延びた命の目的が、曖昧模糊になっているからではないでしょうか。臓器提供者の意思の確認や、プライバシーの保護、脳死の判定基準など、二次的問題ばかりが取り上げられて、それらの根底にある「臓器移植してまでなぜ生きるのか」という確認が、少しもなされてはいないようです。
 つらい思いをして病魔と闘う目的は、ただ生きることではなく、幸福になることでしょう。
「もしあの医療で命長らえることがなかったら、この幸せにはなれなかった」と、生命の歓喜を得てこそ、真に医学が生かされるのではないでしょうか。

 世の中ただ「生きよ、生きよ」「がんばって生きよ」の合唱で、「苦しくとも生きねばならぬ理由は何か」誰も考えず、知ろうともせず、問題にされることもありません。
 こんな不可解事があるでしょうか。