自性唯心に沈んで、浄土の真証を貶す
親鸞聖人の厳しい目は、外道邪教のみならず仏教諸宗にも向けられている。
しかるに、末代の道俗・近世の宗師、自性唯心に沈んで、浄土の真証を貶す(『教行信証』)
「しかるに、一宗一派を開いた者(伝教、弘法、道元、日蓮)たちまでもが、『阿弥陀仏もその浄土も、われらの心のほかにはない。心のほかに弥陀や浄土を説くのは、幼稚な教え』と見くだし、真実の仏法をけなしている」
と、峻烈な批判がなされる。
比叡山や南都(奈良)の、華厳・天台・真言宗はいうまでもなく、法然上人を攻撃した栂尾の明恵、笠置の解脱をはじめ、禅宗の栄西など、当時の仏教界の指導者を総括して「真実の仏教を知らざる輩」と斬り落とされている。
親鸞聖人を尊敬する人は多い。
「他人の信仰批判を嫌ったのが親鸞聖人」という声も多く聞く。
しかし、諸宗派を批判されている教行信証の言葉は光る。
教義に体する厳粛な態度など、今日の仏教界に見ることなどできようか。