今日ほめて 明日悪くいう 人の口

 サッカー界の「貴公子」とよばれ、日本では「ベッカム様」の愛称をもつデービッド・ベッカム選手にも、苦難の日々があった。
 98年のイングランド対アルゼンチン戦が、その始まりだった。試合中、ベッカムはアルゼンチンのシメオネ選手に、背後から突き倒される。倒れたベッカムは、さらに髪を引っ張られ、反射的に相手を蹴り倒した。立ち上がったベッカムにレッドカードが突きつけられ、退場。結局、イングランドはPK戦で破れた。
 イギリスのサッカー熱は大変なもので、重要な大会になると国中が麻痺するほどだ。そこまで熱心な応援は、選手には有難い反面、一つ間違えば事情は一変する。

 ベッカムを待っていたつらい日々を、手記でこう語っている。

 退場になった僕は、イングランドの敗戦を招いた戦犯としてメディアに攻撃された。批判は覚悟していたが、その激しさは度を越えていた。人々は僕の写真をダーツの的にしたり、僕の人形を作って縛り首にしたりした。
 メディアの攻撃はショックだったし、傷つきもした。だが何より、悲しかった。確かにイングランドはサッカーの試合に負けた。とても大事な試合に。だが、ここまで憎しみをぶつけられるいわれがあるだろうか。1人に嫌われるだけでもつらいのに、国中にののしられたら生きた心地がしなくなる。
(日本版『NEWSEEK』[2008.7.2]79頁『あのレッドカードが僕を強くした』)


 昨日までの英雄が、一夜にして国中から憎まれることもある。
 日産自動車を深刻な危機から救ったカルロス・ゴーンは一躍、日本のヒーローになり、『カルロス・ゴーン物語』という漫画も作られた。しかし漫画でスーパーヒーローになった感想を聞かれたゴーンは、「ヒーロー扱いされた翌日には悪役になる可能性もある」と冷静だ。

 一晩で変わる人間の評価ほど、あてにならないものはない。

 高森顕徹監修『なぜ生きる』2部13章には、こう書かれている。


 人間の価値判断は、いかにいい加減なものなのか、「今日ほめて 明日悪くいう 人の口 泣くも笑うも ウソの世の中」と、一休も笑っている。
 自分に都合のよいときは善い人で、都合が悪くなれば悪い人という。己の時々の都合で他人を裁き、評価しているのではなかろうか。人の心は変化するから善悪の判断も変転する。「昨日の味方は、今日は敵」の裏切りがおきるのもうなずけよう。