怒りで一生を棒にふる

 7月22日夜、東京・八王子の京王八王子駅ビル9階の書店で、アルバイト店員の女性が刃物で刺され、死亡した。逮捕された33歳の容疑者は「仕事関係で悩み、事件直近に親に相談したが最後まで聞いてくれなかった。大きな事件を起こせば自分の名前がマスコミに出て(家族に)犯行を示せると思った」などと供述している。
 自分の思いどおりにならないと、簡単に人を殺す事件が増えている。欲が妨げられると、親でも殺す。

 埼玉県川口市では7月19日深夜に、私立中3年の長女(15)が、自宅マンションで寝ていた父親(46)を刺殺す事件がおきた。胸の傷は肺まで達していたという。長女は警察署の調べに対し、「両親に勉強しなさいと言われることに反感を持っていた」と語っている。

 一時の怒りで殺す者もいれば、死ぬ者もいる。
 7月14日午前0時半ごろ、愛知県の県道に寝転がっていた20歳の男性が、乗用車にはねられて死亡した。その男性は交際相手の女性と別れ話をした後、「死んでやる」と叫んで、女性の目の前で道路に寝転がったという。

 一瞬の怒りが、一生を台なしにする。怒りの恐ろしさを知らされるニュースばかりではないだろうか。

 高森顕徹監修『なぜ生きる』245頁には、こう書かれている。

「欲」がさまたげられて出てくるのが怒りである。とくに他人の前で叱責されると、「恥かかされた」と一生忘れない。名誉欲が大山である証しでもあろう。
「怒」という字は、心の上に奴と書く。あいつがいるから、こいつさえいなければと、問答無用で邪魔者は消せ、である。真っ赤になるから火のようで、みずからの教養も学問も火中に投げて、あたりかまわず焼き払う。怒りで五万三千石をフイにしたのは、浅野内匠頭だけではなかろう。ふられた相手に腹を立て、ストーカー行為のあげくが殺人、一生棒にふる悲劇はあとを絶たない。