ドーピングの進化と名誉欲

 ハンマー投げの室伏選手は、2004年アテネ五輪のとき、繰り上がりで金メダルを獲得したが、2008年の北京では5位に終わった。ところが、今回も銀メダルのワディム・デフヤトフスキーと銅メダルのイワン・ティホンがドーピングで失格になっている。
 北京五輪は、過去最高となる4500回の薬物検査を行ったものの、取り締まりはいたちごっこで、違反は後を絶たない。
 選手の遺伝子を組み換えて運動能力を上げる「遺伝子ドーピング」も、架空の話ではなくなった。ドイツのテレビ局のドキュメンタリー番組では、匿名の医師が2万4千ドルで遺伝子ドーピングができると語っている。
 しかし、登場したばかりで高度な技術である遺伝子ドーピングには危険も大きく、白血病などで遺伝子治療を受けた患者では死者も出ている。
 金メダルのためなら死を覚悟する選手が現れないよう、検査体制の確立が求められている。

 高森顕徹監修『なぜ生きる』2部15章には、こう書かれている。

  悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して
(『教行信証』)

「愛欲の広海」につづき、「名利の大山」に迷うとは、どんなことであろうか。
「名」とは名誉欲のこと。よく思われたい、有能だ、カッコいい、かわいい、綺麗な人だとほめられたい。嫌われたくない、悪口言われるとおもしろくない心だ。
「利」は利益欲で、一円でもたくさんお金や物が欲しい心である。
「大きな山ほどの名利の欲望に、朝から晩までふりまわされて、感謝もなければ懺悔もない。なんと情けない親鸞だなぁ」
 まことに痛烈な懺悔である。
 人間を根本的に動かしているのは、「優越を求める心」だとアドラー(個人心理学の祖)は言う。生まれつき、優った人間になりたいと思っている。周囲も、他人に勝つとほめるが、負けると見くだす。生存競争の激しい今日は、学歴競争、出世競争はエスカレートするばかり。「お受験」ブームで、勝ち負けの世界は幼稚園にまで入り込むようになった。
 なんとか上に立って威張りたい、見おろされたくないと汲々とする。財力を誇り、知力、腕力を見せつける。自分に優れたものがなければ、お国自慢や子供自慢まで始める。前科の回数ですら刑務所内では優越意識の材料になるという。

 私たちの心に大きな山ほどある名誉欲を、オリンピックは見せてくれているのではなかろうか。