本当に「助けた」とは

 平成17年4月に兵庫県でおきた、乗客106人が死亡したJR福知山線脱線事故で負傷した25歳の男性が、事故から3年半たって、自殺していたことが10月2日に分かった。日記には「死にたい」などと書かれていたという。

 どんなに苦しくても生きるのはなぜか、「生きる目的」を知らせてこそ、本当の意味で「助けた」と言えるのではないだろうか。

 高森顕徹監修『なぜ生きる』1部8章には、こう書かれている。

 阪神大震災で瓦礫の山となった街に、多くの救助隊やボランティアが、必死の救援活動に挺身しました。壊れた家の軒下から、九死に一生助け出されたときは、「良かった良かった」と泣いて喜び祝福されたのに、「あのとき、死んでいればよかった」と、プレハブ生活の六十七歳の男性が、みずから命を絶っています。同じ道を選んだ人は、一人や二人ではありません。
「なぜ、ここにいるのだろう」「こんな生活、つづけないといけないのかな」と、よく漏らしていたそうです。不幸や悲しみの壁にぶつかったとき、強烈に「なぜ生きる」と、問わずにはいられなくなります。