本当の幸せを求めて

 敗戦後の日本が経済復興を遂げていった時代は、物が豊かになることが「幸せ」だったのだろう。
 だが、物が揃った今、現代の若者は、幸せを見失ったと田原総一朗は言う。


かつての日本は、年齢とともに収入が増え、どんどんモノを手に入れた。私自身もそうだった。働き始めた頃、何もなかった。結婚して最初に買ったのが冷蔵庫だ。その後、掃除機、洗濯機と、一つずつ増やしていった。テレビはずいぶん後に買った。今は一年中使えるエアコンがあるが、当時は冬のストーブしかなかった。それでも、一つひとつ手に入れて豊かになっていくことが幸せだった。
ところが、それと異なる世代が登場した。今年の新成人は、生まれたとき、すでにすべてが揃っていた。だが、収入は増えない、モノも増えない、そういう時代を生きてきた。新しい価値観、新しい幸せを見つけなければいけない。
そんな時代の中で、幸せとは何だろう。それを考え追求していくのが、これからの日本の大きな課題であり、それを負っていくのが新成人の世代なのである。」
(〜田原総一朗『悲観するな、「坂の上の雲」の中で迷う日本』より〜)

 こんな時代だからこそ、「真の宗教」が切望されているのだろう。
高森顕徹監修『なぜ生きる』2部1章には、こう書かれている。


物が豊かになり、暮らしはずいぶん変わったが、それで幸福になれるのではない。二十世紀は、それを証明した時代といわれる。長足の進歩をとげた科学は、史上、もっとも強い力を持った手段であるが、かつてない大量殺戮にも使われ、人間自体を滅ぼそうとするまでに至った。
 科学を何に使うか、その目的を教えるのが宗教の役目だ、とアインシュタインは訴えた。『私の世界観』 という本には、「人生の意義に答えるのが宗教だ」とも書いている。二十一世紀が「宗教の時代」といわれるのは、もっとも大事な人生の目的を、はっきり指し示す「真の宗教」が、希求されているからであろう。