ある日、突然崩れる幸せ

 10月4日深夜、神戸市北区の路上で、高校2年の男子生徒(16)が、男に刃物のようなもので頭や首を刺され、殺害された。交際中の中学3年の女子生徒(15)と、立ち話をしていた時の、一瞬の出来事だった。
 犠牲となった男子生徒はブログに、オートバイの中型免許取得を目指していることを書き込み、殺される前日には「はよ中免ほしいからがんばろ」「今日(女子生徒が)幸せって言うた。嬉しかった。俺もめっちゃ幸せや」などと書いていた。
 何の前触れもなく、幸せが音を立てて崩壊する。こんな人生に、何の意味があるのか。誰もがぶつかる問題だろう。

高森顕徹監修『なぜ生きる』1部1章には、こう書かれている。

「出ていって!」
 二階から駆けおりるなり、父をたたきながら叫んだ母の声は、今も耳の底から離れない。立ちすくむ私の目の前を無言で通り過ぎた父は、二度と家には戻りませんでした。小学生だった私が離婚という言葉を知り、悲しい事態を理解したのは数カ月たってからのことです。涙に映っていたものは、なんの前ぶれもなく、幸せがいとも簡単に崩れ去るという現実でした。
 どんなに堅固そうな幸福にも、破局があるのではなかろうか。いつ何がおきるか分からない、そんな不安定な人生に、どんな意味があるのだろうか。
 ひとは、なんのために生きるのか。

 平凡な生活のまどろみが破られ、愕然とさせられたとき、この問いに真剣な解答が迫られます。