有無同然

 米国プリンストン大学の教授たちが、年収と幸福の関係を、アメリカの45万人以上を対象に調査した。収入が上がるほど生活の満足感は上昇するものの、幸せな気分は年収630万円前後で、頭打ちになってしまうという結果が出たという。

 金や財のないのが苦悩の元凶ならば、あり得ない統計結果である。金さえあれば幸せになれると思うからこそ、皆、必死に金を求めるのだろう。だが釈迦は、金や物がある者も、ない者も、苦しんでいるのは同じなのだと二千六百年前に喝破されている。

高森顕徹監修『なぜ生きる』2部3章には、こう書かれている。

   田なければ、また憂いて、田あらんことを欲し、宅なければ、また憂いて、宅あらんことを欲す。田あれば田を憂え、宅あれば宅を憂う。牛馬・六畜・奴婢・銭財・衣食・什物、また共にこれを憂う。有無同じく然り
(『大無量寿経』)

「田畑や家が無ければ、それらを求めて苦しみ、有れば、管理や維持のためにまた苦しむ。その他のものにしても、みな同じである」
 金、財産、名誉、地位、家族、これらが無ければないことを苦しみ、有ればあることで苦しむ。有る者は?金の鎖?、無い者は?鉄の鎖?につながれているといってもよかろう。材質が金であろうと鉄であろうと、苦しんでいることに変わりはない。
 これを釈尊は「有無同然」と説かれる。
 どれほどの財宝や権力を手にしても、たとえ宇宙に飛び出しても、本当の苦悩の根元を知り、取り除かないかぎり、人生の重荷はおろせないであろう。