幸福論の破綻

 ジャーナリスト田原総一朗氏と、月尾嘉男東大教授の対談『IT革命のカラクリ―東大で月尾教授に聞く!』に、こんな話がある。

田原「僕はバブルの時代、どんな講演をやっても最後にかならず同じ質問が出るので辟易したけどね。政治の話をしても環境の話をしても、『株は何買えばいいですか』と最後にかならず聞かれた。最近はIT革命がらみで、みんなまたその質問をする。僕はちょっと意地悪になって『なぜ株買うんですか』と聞く。すると『儲けたいんです』という。『儲かったらどうしますか』って聞くと、しばらく考えて『やっぱり株買います』(笑)。これはソニーの盛田さんから聞いた小話。レマン湖のほとりでスイス人が釣りをしていた。でも全然釣れない。しばらく見ていた日本人が『何しているんですか』と聞いたと。『いや、魚を釣ろうと思って』と答えると、『釣れませんね。いっそ底網かけてバーッと捕ったら』と日本人。『底網かけて捕ってどうする』と逆にスイス人が聞く。『市場で売ればいいじゃないか』『儲けてどうする』『景色がいいからこの辺の別荘を買えばいい』と。スイス人が『別荘買ってどうするの』って聞くから、日本人いよいよ困って『釣りでもしてればいいじゃないか』(笑)。つまり、日本人にはカネを儲けてどうするってのがない。」(月尾 嘉男, 田原 総一朗著『IT革命のカラクリ―東大で月尾教授に聞く!』より)

 これは日本だけのことではない。古今東西で繰り返されている流転であろう。

高森顕徹監修『なぜ生きる』2部3章には、こう書かれている。

 人生苦海の波間から、しきりに、こんな嘆きが聞こえてくる。
「金さえあれば」「物さえあれば」「有名になれたら」「地位が得られれば」「家を持てたら」「恋人が欲しい」などなど。
 どうやら苦しみの原因をそこらに見定めて、近くに浮遊する、それらの丸太や板切れに向かって、懸命に泳いでいるようだが、はたして苦海がわたれるのだろうか。
 考えさせる小話をひとつ、紹介しておこう。
 所はある南の国。登場人物はアメリカ人と現地人。
 ヤシの木の下で、いつも昼寝をしている男をつかまえてアメリカ人が説教している。
「怠けていずに、働いて金を儲けたらどうだ」
 ジロリと見あげて、男が言う。
「金を儲けて、どうするのだ」
「銀行にあずけておけば、大きな金になる」
「大きな金ができたら、どうする」
「りっぱな家を建て、もっと金ができれば、暖かい所に別荘でも持つか」
「別荘を持って、どうするのだ」
「別荘の庭のヤシの下で、昼寝でもするよ」
「オレはもう前から、ヤシの下で昼寝をしているさ」
 こんな幸福論の破綻は、周囲に満ちている。

 苦悩の根元を正確に知らなければ、真の幸福は得られないであろう。