恐るべき無法者

 平成23年8月4日、サッカーの元日本代表DF、松田直樹選手が、急性心筋梗塞により、34歳という若さで、この世を去った。心筋梗塞は肥満の中高年に多い病気だけに、30代の運動選手の急死は、全国に衝撃を与えた。
 何の予告もなしに、突然やってくる「死」の恐怖を、高森顕徹監修『なぜ生きる』1部8章には、こう書かれている。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」(『平家物語』)
「諸行」は?すべてのもの?、「無常」は?常が無くつづかないこと?です。健康だ、
財産がある、名声が高い、家が豪勢だ、という現実は、絶えず変転します。大きく変化するか、少しずつ変わるかだけの違いで、つぎの瞬間から崩壊につながっているのです。
 中でもショックなのは、自分の死でしょう。東大で哲学を教えていた廣松渉氏は、定年退官した直後、ガンに倒れました。哲学、科学、心理学、経済学、社会学、歴史、あらゆる分野に精通した、日本哲学界の第一人者でした。ライフワークだった 『存在と意味』 全三巻のうち、出版にこぎつけたのは二巻前半まで。最後の著作には、「望むらくは寧日よあれ!」の痛恨の辞があります。
 まだ死ねない! しかし死は、私たちの都合など、おかまいなしです。
 同じく、ガンを宣告された岸本英夫氏(東大・宗教学教授)は、死はまさに、突然襲ってくる暴力だと闘病記に残しています。

   死は、突然にしかやって来ないといってもよい。いつ来ても、その当事者は、突然に来たとしか感じないのである。生きることに安心しきっている心には、死に対する用意が、なにもできていないからである。(中略)死は、来るべからざる時でも、やってくる。来るべからざる場所にも、平気でやってくる。ちょうど、きれいにそうじをした座敷に、土足のままで、ズカズカと乗り込んでくる無法者のようなものである。それでは、あまりムチャである。しばらく待てといっても、決して、待とうとはしない。人間の力では、どう止めることも、動かすこともできない怪物である。(岸本英夫 『死を見つめる心』)

 営々と築きあげたどんな成果も、人生の幕切れでグシャリとにぎりつぶされる。長く大きくしようと努めてきたシャボン玉と同じです。

 やがて死ぬのに、なぜ生きるのか。厳粛な死を見つめれば、誰しも考えずにおれなくなるだろう。