何のための就活か

 大学生協で一番売れている自己分析本『絶対内定』に、こう書かれている。

就職を考える時、自分の人生について考えることが不可避である。なぜなら、「豊かな人生を送ること」こそが生きる目的であり、就職も内定もただの通過点にすぎない。目的ではなく、手段にすぎない。

したがって、よく世間で言われているような「まず就職しよう。それから先は、その時に考えよう」という考えは、いい加減な考え方で妥当ではない。(中略)
歳をとればとるほど、人生をその場しのぎ的に過ごしてしまっている人は少なくない。会社などの組織の目標や、置かれている環境における義務を自分の目標や夢にすり替えて日々を積み重ね、あとから「俺の人生は何だったのか」と悔いる人が少なくないのが現状だろう。
人生は長いようで短い。大学時代がアッという間に過ぎたように、残りの人生も明確な夢や目標をもって生きなければ、大きな充実感を得ないまま過ぎてしまうだろう。
「いつかは俺の人生を本気で生きるのだ」と思っているうちに歳をとり、気がつけば腹の回りにたっぷり脂肪をつけて、そのうち、そんな思いさえ忘れていってしまうだろう。(『絶対内定2007』より)

「就職も内定もただの通過点にすぎない。目的ではなく、手段にすぎない」と言われているように、仕事は人生の目的ではなく、手段である。早くそのことに気づいてもらいたいと、念じずにはおれない。
高森顕徹監修『なぜ生きる』1部5章には、こう書かれている。

退職して悠々自適、好きなことができると思っていたのに、何をしたらよいか分からず、家でごろごろと無気力な人が、多く見られるようになりました。地面にビタッと貼りついて動かない「濡れ落ち葉」にたとえられますが、ひどい人は「粗大ゴミ」と表現します。居場所を失って、焦る人も少なくありません。

  「先生、私には居場所がないのです。どうしたらいいでしょう」と、研修の場で相談を持ちかけられることが多くなっています。定年になって、会社を辞めてから一カ月もすると、家にいても身の置き場がない、誠に哀れな状況になっているというのです。
   なかには、定年退職した後も、以前と同じように、毎朝会社に出勤する時間になると身支度を整えて出かけ、公園かどこかで時間を潰し、夕方帰宅するという、笑うに笑えない例もあるのです。これこそ、仕事が人生そのものと思っていた人が、会社以外に自分という存在を認識できなかった結果を物語っています。(佐藤英郎 『気づく人、気づかぬ人』)

「仕事は、人生の目的を達成する手段」と気づく人が、若者を中心に増えていると、社員研修十五年の佐藤英郎氏は言います。しかし実際は、「生きるための苦闘」は激しさを増すばかり。どう生きるかに追われ、「そんなにまでして生きるのはなぜか」を考える時間は、奪われているようです。