増える若者の自殺

 警察庁は3月9日、昨年1年間の全国の自殺者が3万651人だったと発表した。前年より1039人減ったものの、14年連続で3万人を超えている。
 そのうち「学生・生徒」が前年より101人増えて、1029人に上ったのが特徴だという。統計を取り始めた1978年以降、初めて1000人を超えた。
 就職難や、経済的な困窮などが、若者の悩みの原因と言う人もあるが、根本的な原因は、「苦しくとも、なぜ生きねばならないか」が、分からないからではないだろうか。


高森顕徹監修『なぜ生きる』「はじめに」には、こう書かれている。

 自殺の増加と低年齢化に、世のなか戸惑っている。科学や医学などは急進したが、人類の闇はますます深まっているといえよう。
「強く生きよ」と励ます本が相次いでベストセラーになっているが、「生きていても意味のない人間」と言われて、どんな説得が用意されているのだろうか。
「生きよ生きよ」と連呼されても、
「人生は 食て寝て起きて クソたれて 子は親となる 子は親となる」
「世の中の 娘が嫁と花咲いて カカアとしぼんで 婆と散りゆく」
 禅僧・一休に人生の裸形を露出されると、むなしくこだまするだけである。

 戦争、殺人、自殺、暴力、虐待などは、「生きる意味があるのか」「苦しくとも、生きねばならぬ理由は何か」必死に求めても知り得ぬ、深い闇へのいらだちが、生み出す悲劇とは言えないだろうか。
 たとえば少年法を改正しても、罪の意識のない少年にどれだけの効果を期待しうるか、と懸念されるように、これら諸問題の根底にある「生命の尊厳」、「人生の目的」が鮮明にされないかぎり、どんな対策も水面に描いた絵に終わるであろう。
「人生に目的はあるのか、ないのか」
「生きる意味は何なのか」
 人類は今も、この深い闇の中にある。
 どこにも明答を聞けぬ中、親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない。
「万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、?よくぞこの世に生まれたものぞ?の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、この目的果たすまでは生き抜きなさいよ」
 聖人、九十年のメッセージは一貫して、これしかなかった。まさしく人類の迷闇を破る、世界の光といわれるにふさわしい。

 混迷を深める現代は、ますます親鸞聖人のみ教えが希求されているといえよう。