臓器移植までしてなぜ生きる

 国内で初めて、富山県で6歳未満の男の子が脳死と判定され、6月15日から16日にかけて、心臓と肝臓、腎臓の移植手術が行われた。
 両親の決断を、敬意をもって受け止める人がある一方で、乳幼児からの臓器移植には反対意見も多い。子供の脳はダメージからの回復能力が高いため、脳死判定には厳しい基準が必要だ。また幼児の場合、脳死や移植について、本人の意思を確認することは極めて難しい。だが、最も大事な問題が、忘れられていないだろうか。


高森顕徹監修『なぜ生きる』1部2章には、こう書かれている。

臓器提供者の意思の確認や、プライバシーの保護、脳死の判定基準など、二次的問題ばかりが取り上げられて、それらの根底にある「臓器移植してまでなぜ生きるのか」という確認が、少しもなされてはいないようです。
 つらい思いをして病魔と闘う目的は、ただ生きることではなく、幸福になることでしょう。
「もしあの医療で命長らえることがなかったら、この幸せにはなれなかった」と、生命の歓喜を得てこそ、真に医学が生かされるのではないでしょうか。

「臓器移植してまでなぜ生きるのか」人生の目的が鮮明になってこそ、医学の進歩が真に素晴らしいものとなるであろう。