日本の自殺が減ったというのは本当か

 警察庁のまとめによると、今年の自殺者は、15年ぶりに年間3万人を下回る見通しだという。
 本当に自殺が減ったのであればよいが、警察が発表している統計には、「変死体」という数もあり、その数は年々、増えている。昨年の変死体は2万体を超える。「変死体」というのは、殺害か病死か分からない死体のことで、WHO(世界保健機構)は、変死の原因の約半分は自殺だと論じている。もしその通りならば、日本の自殺者は、さらに一万人、増える。
 自殺者が減る一方で、変死体が増えていたら、自殺者が減ったと、手放しで喜ぶことはできないだろう。
 自殺は依然として、日本の大きな社会問題である。
 どんなに苦しくとも、なぜ生きなければならないのか。人生の目的を明らかにすることが、急務であろう。

高森顕徹監修『なぜ生きる』「はじめに」には、こう書かれている。

 自殺の増加と低年齢化に、世のなか戸惑っている。科学や医学などは急進したが、人類の闇はますます深まっているといえよう。
「強く生きよ」と励ます本が相次いでベストセラーになっているが、「生きていても意味のない人間」と言われて、どんな説得が用意されているのだろうか。
「生きよ生きよ」と連呼されても、
「人生は 食て寝て起きて クソたれて 子は親となる 子は親となる」
「世の中の 娘が嫁と花咲いて カカアとしぼんで 婆と散りゆく」
 禅僧・一休に人生の裸形を露出されると、むなしくこだまするだけである。

 戦争、殺人、自殺、暴力、虐待などは、「生きる意味があるのか」「苦しくとも、生きねばならぬ理由は何か」必死に求めても知り得ぬ、深い闇へのいらだちが、生み出す悲劇とは言えないだろうか。
 たとえば少年法を改正しても、罪の意識のない少年にどれだけの効果を期待しうるか、と懸念されるように、これら諸問題の根底にある「生命の尊厳」、「人生の目的」が鮮明にされないかぎり、どんな対策も水面に描いた絵に終わるであろう。
「人生に目的はあるのか、ないのか」
「生きる意味は何なのか」
 人類は今も、この深い闇の中にある。
 どこにも明答を聞けぬ中、親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない。
「万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、?よくぞこの世に生まれたものぞ?の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、この目的果たすまでは生き抜きなさいよ」
 聖人、九十年のメッセージは一貫して、これしかなかった。まさしく人類の迷闇を破る、世界の光といわれるにふさわしい。