絶対に裏切らないまこと
クレイグ・ゾベル監督の映画、『コンプライアンス 服従の心理』が日本で公開された。
ケンタッキー州のマクドナルド店でおきた、実話に基づいている。映画の中では、中年女性の店長サンドラに、「ダニエルズ」と名乗る警察官から一本の電話が入る。店に勤めているベッキーという若い女性が、客の財布から現金を盗んだというのだ。しかし実際は、この自称「警察官」は、言葉巧みに人を動かす変質者だった。
サンドラ店長は、電話の声に命ぜられるまま、最後にはベッキーの服を脱がせて身体検査までしてしまう。自分がサンドラの立場だったら、いたずら電話と見抜くことができたか、観客は問われる。
日本では「振り込め詐欺」の被害額が3年連続で増え、一件あたりの被害額は平均242万円にのぼる。いったい世の中に、信じても絶対、間違いの無いものは、あるのだろうか。親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願だけが、絶対に裏切らないまことだと断言されている。
高森顕徹監修『なぜ生きる』2部20章には、こう書かれている。
煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、よろずのことみなもって、そらごとたわごと、真実あることなきに、ただ念仏のみぞ、まことにておわします
(『歎異鈔』)「いつ何がおきるか分からない火宅無常の世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべてのことは、そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない。ただ念仏のみがまことなのだ」
聖人には、弥陀の本願のほかに、まことはなかった。
「念仏のみぞ、まことにておわします」
は、
「本願のみぞ、まことにておわします」
を言いかえられただけである。
弥陀の本願以外に、この世に確かなものは何もない、鮮明不動の「法の深信」に立つ聖人には、「弥陀の本願まことにおわしまさば……」と、なんのためらいもなく言えたのであろう。
「弥陀の本願まこと」が、つねに聖人の原点であったのだ。