火宅無常の世界

7月6日、カナダのケベック州で、原油を載せて停止していた列車が、運転手不在のまま動きだし、丘を下って速度を増して脱線、繁華街に突っ込んで爆発、炎上した。町の6千人の住民のうち、2千人が避難したという。燃える暴走列車が、町を破壊しながら突進してきたら、皆、とても家でジッとはしていられないだろう。
親鸞聖人は、私たちの生きている世界を「火宅無常の世界」と仰って、ちょう火のついた家のように、不安が絶えないのが人生だと教えておられる。いつ何がおこるかわからない不安な世の中で、ただ一つ変わらない真実は「阿弥陀仏の本願」だと親鸞聖人は教えていかれた。高森顕徹監修『なぜ生きる』2部20章には、こう書かれている。

 煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、よろずのことみなもって、そらごとたわごと、真実あることなきに、ただ念仏のみぞ、まことにておわします
(『歎異鈔』)

「いつ何がおきるか分からない火宅無常の世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべてのことは、そらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない。ただ念仏のみがまことなのだ」
 聖人には、弥陀の本願のほかに、まことはなかった。
「念仏のみぞ、まことにておわします」
は、
「本願のみぞ、まことにておわします」
を言いかえられただけである。
 弥陀の本願以外に、この世に確かなものは何もない、鮮明不動の「法の深信」に立つ聖人には、「弥陀の本願まことにおわしまさば……」と、なんのためらいもなく言えたのであろう。
「弥陀の本願まこと」が、つねに聖人の原点であったのだ。