復讐の闇

 復讐の依頼をネットで受け付けていた「復讐代行サイト」が10月23日、全国で初めて摘発され、運営責任者が名誉毀損の容疑で逮捕された。逮捕容疑は、広島の会社員を中傷するウソのメールを、建築関係会社のサイトに十数回にわたって送ったというもの。依頼人に代わって嫌がらせをする、「復讐屋」の存在が明るみになった。
 欲が満たされなければ怒りとなり、腹を立てても仕方の無い相手には、恨みとなる。恨みで一生を棒に振る人も多い。

高森顕徹監修『なぜ生きる』2部16章には、人間の実態をこう書かれている。

「怒」という字は、心の上に奴と書く。あいつがいるから、こいつさえいなければと、問答無用で邪魔者は消せ、である。真っ赤になるから火のようで、みずからの教養も学問も火中に投げて、あたりかまわず焼き払う。怒りで五万三千石をフイにしたのは、浅野内匠頭だけではなかろう。ふられた相手に腹を立て、ストーカー行為のあげくが殺人、一生棒にふる悲劇はあとを絶たない。
 怒りは、弱い者には八つ当たりとなり、強い相手には憎悪となる。
「近ごろは悪しくなりにけり 隣に倉が建ちしよりのち」
といわれる。こちらは不幸つづきで、イライラしているのに、隣に家や蔵が建つと腹が立つ。隣の不幸をいのる心さえ出てくる始末。とても仲良くは、なれそうにない。好きな人がほかの異性と、親しそうに話をしているだけでもおもしろくない。ねたみそねみのいやらしさ、恐ろしさは、見ただけでもゾッとするから、ヘビやサソリのような心だと聖人は、嘆かれる。
 毒舌家A・ビアスは、「幸福とは、他人の不幸を見てよろこぶ快感」と 『悪魔の辞典』 に書いている。にわか雨にあって、こまっているのを見てよろこんでいる。犬にほえられ、うろたえている人を笑っている。着飾った女性が車の泥はねで、泣き出しそうなのを楽しんでいる。火事場に向かう途中で、鎮火したと聞くとガッカリする。
「旅先の火事は、大きいほどおもしろい」不謹慎であってはならないと思う下から、対岸の火事を楽しんでも、悲しむ心がおきてはこない。大きな事件や残虐性が強いほど、視聴率は上がり週刊誌が売れるのは、何を物語っているのだろうか。
 出世したとか、結婚したとか、新築など、他人の幸せはみんなしゃくのタネ。失敗したとか、離婚したとか、災難など、他人の不幸を聞くと心の中はニヤリとする。思っていることを洗いざらい、さらけ出したらどうだろう。悪魔と叫んで、みんな逃げ出すにちがいない。