テロリストかノーベル平和賞か

 アパルトヘイトと戦って、1993年にノーベル平和賞を受賞した、元・南アフリカ大統領ネルソン・マンデラの自伝を映画化した『マンデラ 自由への長い道』が5月24日、日本で公開されました。
 27年間も獄中生活を続けながら、自由のために戦い続けた波乱の一生は、多くの人を感動させています。
 この映画にもあるように、マンデラは2008年まで、アメリカのテロ監視リストに、名前が記されていました。白人至上主義の政府からみれば、武装して立ち上がった黒人はテロリストになるでしょう。今日の英雄が、かつてはテロリストと見られていたのです。まさに人間の評価は、都合によって激変します。

高森顕徹監修『なぜ生きる』2部13章には、こう書かれています。

 私たちは他人の言葉に一喜一憂する。他人からどう見られているか、つねに気をつかい、神経をすり減らす。?他人に笑われるような者になるなよ?と親や教師から教訓されもした。自己を知る大きな信頼を、他人という鏡に寄せているといってもよかろう。だが果たして、他人は適正な評価をしているか、というよりもできるのだろうか。
 徳川時代に書かれたものに、どんな豊臣の仁政があったであろうか。明治初期に書かれたものに、徳川幕府の徳政を見ることができようか。史実といっても、支配者の都合のよいように書きかえられる。権力者が変われば、価値観までが変わってしまう。
「忠」といえば江戸時代は、将軍や大名のために死ぬことだった。明治から敗戦までは、天皇のために命を捨てることとなり善悪の規範であった。主権在民、労使平等などといえば、たちまち?危険思想の持ち主?とレッテルを貼られ、投獄された時期もあったが、今では天皇も労働者も平等である。政権が変わると憲法も変わり、収監されていた者も一夜にして無罪放免、きのうまでの権力者が断罪される国もある。
 人間の価値判断は、いかにいい加減なものなのか、「今日ほめて 明日悪くいう 人の口 泣くも笑うも ウソの世の中」と、一休も笑っている。
 自分に都合のよいときは善い人で、都合が悪くなれば悪い人という。己の時々の都合で他人を裁き、評価しているのではなかろうか。人の心は変化するから善悪の判断も変転する。「昨日の味方は、今日は敵」の裏切りがおきるのもうなずけよう。