なぜ人命は尊いのか

 7月26日午後8時ごろ、長崎県佐世保市の一五歳の女子生徒が、同級生を殺害して遺体の頭部などを切断し、逮捕された。佐世保市では10年前も、小学女子が同級生に殺される事件があり、命の大切さが訴えられてきたが、その努力は無駄だったのかと、関係者は失望を隠せない。
 人生の目的が明確にならなければ、命の尊さもわからず、このような事件は絶えないだろう。

高森顕徹監修『なぜ生きる』はじめにには、こう書かれている。

 戦争、殺人、自殺、暴力、虐待などは、「生きる意味があるのか」「苦しくとも、生きねばならぬ理由は何か」必死に求めても知り得ぬ、深い闇へのいらだちが、生み出す悲劇とは言えないだろうか。
 たとえば少年法を改正しても、罪の意識のない少年にどれだけの効果を期待しうるか、と懸念されるように、これら諸問題の根底にある「生命の尊厳」、「人生の目的」が鮮明にされないかぎり、どんな対策も水面に描いた絵に終わるであろう。
「人生に目的はあるのか、ないのか」
「生きる意味は何なのか」
 人類は今も、この深い闇の中にある。
 どこにも明答を聞けぬ中、親鸞聖人ほど、人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はない。
「万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、?よくぞこの世に生まれたものぞ?の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、この目的果たすまでは生き抜きなさいよ」
 聖人、九十年のメッセージは一貫して、これしかなかった。まさしく人類の迷闇を破る、世界の光といわれるにふさわしい。