行方不明になる自己

 2004年に飛び立った欧州の探査機「ロゼッタ」が、目標としていたチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星に到着した。地表に投下した着陸機フィラエの着陸にも成功し、世界初の、彗星着陸となった。
 彗星の調査によって、地球の水や生命の起源を探るという。
 科学技術の進歩に驚かされるが、たとえ水や生命の起源が明らかになっても、「私」がどんなものかは、依然として分かっていない。

高森顕徹監修『なぜ生きる』2部12章には、こう書かれている。

「本当の私」とは何か。自分自身のことだから、これほど大事なことはなかろう。
「世界で最大のことは、自己を知ることである」とモンテーニュは言っている。全思想の固定した、動かし得ない中心テーマは、明らかに?自分とはなんぞや?であったと、E・カッシーラー(ドイツの哲学者)も断言する(『人間』)。
 自分のことは自分が一番知っている、と思いがちだが、「汝自身を知れ」と古代ギリシアからいわれてきたように、もっともわからないのが自分自身ではなかろうか。はるか宇宙の様子がわかっても、素粒子の世界が解明されても、三十億の遺伝子が解読されても、依然としてわからないのが私自身なのだ。